ヒヨコがかえる卵 ポロニ養鶏場

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「アクセサリー職人から鶏へ」

東京の下町である日暮里という地で産まれた私(大木義明)は、家業が職人業である小さな町工場で育ったこともあり、一時はアクセサリー職人という道を選んだこともあります。
しかし20代半ばを過ぎた頃「いくら素敵なアクセサリーを作っても、それはある一部の人達のためだけの仕事であり、この仕事に自分の人生をかけていいのかなぁ」と悶々とした日々を送っていました。
その当時は山歩きや旅行が趣味だったのですが、ちょうどその頃に起こった事件が1986年のチェルノブイリ原発事故でした。地球規模で環境破壊が進んでいると感じ「こんなところで指輪を作っている場合じゃない、自分の人生を価値あるものに使わなきゃ」と、曇った心の隙間に陽の光が射したように感じたと同時に、大好きな自然や北海道が壊されていくような気がしました。
それまでも北海道へは度々来ており大好きな場所だったので、「同じ人生を賭けるなら大好きな場所を守ることにつながる仕事をしよう!」と移住を考えるようになり、釧路にあるユースホステルのヘルパーなど経て、ある農場で養鶏を担当したのがきっかけでニワトリに出会ったのが31歳の時でした。

「養鶏場を開設しました」

この農場は川湯という場所にあり、そこで初めて自然卵養鶏というものに出会いました。しかし経験者が居なかったので、暗中模索の日々を送りながら経験を積む毎日でした。そんな31歳の時に、川湯温泉でアルバイトをしていた京都出身の恵理と出会い結婚し長男も産まれました。
1994年(35歳の時)、今の土地を見つけ独立し「ポロニ養鶏場」を開設しましたが、飼育方法はほとんど独学で鶏舎も自分で建てました。
ちなみに「ポロニ」とは、アイヌ語で「ポロ」が大きい、「ニ」は木 ポロニという言葉自体はアイヌ語には無いのですが、大きな木つまり大木という意味の造語です。北海道が好きでやってきた二人らしく、卵が生まれるイメージにもなり命名しました。

「健康で幸せな鶏を育てること」

ポロニ養鶏場では、卵を産み始めるまでの半年と産み始めてからの約1年、合わせて1年半飼育します。その中で最初の6ヶ月はじっくりと元気で健康な親鶏に育てるために、ひよこが初めて口にするものからすべて自家製の餌で育てます。また、孵化翌日のヒナを最初から土の上で育てることにより、抵抗力をつけた健康な身体になります。
親鶏に成長したら、4面解放型の鶏舎で平飼いにします。ゆったりとした空間で自由に走り回り、虫や小石などもついばみますます元気に過ごします。
オスとメスを一定の割合で一緒に育てることにより、ストレスのない健康な鶏を育てることにつながり結果として有精卵が生まれます。

「卵だって生きてます」

私達が育てるニワトリが産むのは、ヒヨコにかえる卵「有精卵」がほとんどです。オスとメスを一緒に飼っていますが、必ず有精卵が生まれるとは限らないのも事実です。
皆さんが毎日のように食べている卵は無精卵がほとんどだと思います。無精卵はヒヨコにはかえりませんが、有精卵はちゃんと温めてあげればヒヨコが生まれます。
栄養価だけで見ると、無精卵も有精卵もさほど差がありません。しかし、大きく異なる点は、飼われている環境、与えられている餌、そして生命力の違い。
ポロニ養鶏場のニワトリたちは、北海道の気候の変化に従順に野生と同じような環境で生きています。
ニワトリが私達人間と同じ生き物である限り「命ある卵」にこだわりたいと思っています。

「親心ってもんです」

今は、自分が生産した卵たちがどんな人に出会って、料理されて、その人の心に残り、身体をつくっていくか。卵たちが僕らの手を離れて、知らないところでそれぞれとんでもない仕事をしている。まるで親の気持ちです。子供たちがこれからどう生きていくかがすごく楽しみ。
身体の事情で食べられない子が「ポロニの卵なら食べられた」なんて聞くとものすごくうれしい。
「病気でもう何も食べられなくなった父が、ポロニの卵かけごはんだけは、のどを通ると言って食べられたんです。ありがとうございます」と涙をぽろぽろとこぼしながら話してくださったお客様。人生の最後に寄り添う食事になったなんて、生産者冥利に尽きます。
卵屋の醍醐味ですね。